◎ ・・・・・・・ 卵巣のう腫  チョコレートのう腫摘出日記。 2回目の入院 ・・・・・・・ ◎

チョコレートのう腫とは、卵巣に袋が出来て血がたまっていくもの。
古くなった血がチョコレートみたいに見えるそうです。
月経のたびに袋が育つとまわりの臓器と癒着して痛みが激しくなり、
進行すると妊娠しにくくなってしまいます。




2004年 2月3日
14:30 予定時間をオーバーしているのを心配して母がナースステーションへ何度か様子を尋ねに行き、
もうすぐもうすぐといわれて、病室へ戻ってきたのは15:00ちょうどだったそうです。予定時間の2倍以上かかれば
やきもきしちゃうだろうな・・・



手術前に不安に思うことを聞かれた時に
『手術の後、寒くて心臓発作が起きないかコワイ』と麻酔科の先生に
訴えたところ、
『わかりました、お部屋も手術室も寒くないようあたためておきます。』
力強く言ってくださったのでうれしかった。
その言葉どおり、手術中に電気毛布をベッドに敷いて
手術後に着る浴衣をあたためてくれたそうです♪
でもそれは特別扱いではなくて他の患者さんも電気毛布はあったよ、ってカズボンが。
( いいじゃないのよぅ、私が麻酔科の先生に素直に感謝しているんだから♪ )
病室にニトロールの点滴と帰還。
ここからが、私が懸念していた・・・
前回の手術後の大騒ぎの
汚名返上をしたかったところ・・・



  
前回の手術の後、部屋に戻るなり私は
『痛いよー!痛いよー!!寒いよー!』と泣き叫んで
かなりみっともなかったらしい。
誰もみっともなかったとは言わなかったけれど、
自分で後で思い返すと、これから同じ手術を
受けようとする同室の患者さんへ不安を与えるような
大騒ぎをしたように思ったので
今回は、なんとしても・・・大泣きはすまい!!!と
かたくかたく決心していたのです。


(今回は緊急で運ばれてきた30代の方と
60代80代の方の3人で、同じ病気の方は
いらっしゃらなかったようですけども。)

足が圧迫されて苦しかったので、ドラえもん・もしくは大山のぶよさん激似の看護士さんに
『あの・・・足に何がついているんですか?』と尋ねたら
『ワガママ言わないのッ! 明日になったら取れるんだからッ!』とビシっと言われ
『聞いただけじゃないですか!』と言い返した。
どうやら、このやり取りは手術室を出てすぐのことらしく、母もカズボンも聞いてないという。

手術室から戻った私はメガネをかけていなかったので、母が
■ーリン看護士さんに
手術室に取りに行ってもらったそう。
部屋に戻るなり私は小さな声、他の患者さんには聞こえないくらいの声で
『痛い・・・痛み止めをください・・・。』と看護士さんにお願いしていたという。
手術中にどんなふうな カオ になっていたのか分からないのだけど、
目やにで目がまったく開かず手で触るとボリボリっと取れて
その時に眼球を傷付けたらしく、翌日の午後まで右目から涙が止まらなかった。
鼻水が鼻の穴のまわりで固まってた。 ・・・うぅ。 みったぐなーい。

またイヤイヤをして酸素マスクを取ってしまった。
酸素マスクをしていると余計に息が出来なくて苦しかったので
はずして自力で呼吸していたら、先生が
『別にいいよ。』というのが聞こえた。


静脈瘤防止のコンプレッサーだったのね。
自分では見えないから何が動いているのか
教えてほしかっただけなのに。
とにかく寒くて母に、足の裏にカイロを貼り付けた上に、妹からのお見舞いクマさん靴下をはかせてもらった。 
手袋も持って来ればよかったと後悔したのを覚えている。

術後は痛み止めを処方するので痛みを我慢しないでください、と説明書にあった・・・
『お願いです、お願いですから・・・痛み止めを下さい・・・』と何度も何度も看護士さんに言うのだけれど
『痛いね、痛いねー、先生に聞いてくるからねー。』の言葉がかえってくるばかりで看護士さんはその場を離れることなく
血圧と体温、脈を5分おきに計りながら40分が経過したらしい。
うつらうつらしながら『今計ってもらったばかりですよー。』と私が言い、看護士さんは『ごめんね、また計るのよー。』と
答えながらもう紙に書くところがなくて手に書いていたそう。たいへんだ。
錆び付いているベッド脇の手すりを、血圧測定のたびにはずしたりセットしたりするので
ガコーンガコーンと振動が傷に響いた。
100人のミニ・フレディが、あの爪でかきむしりながらお腹を破って飛び出してくるみたいな壮絶な痛みで、
母とカズボンに聞くと
お願いです・・・痛み止めを下さい・・・』と最初の20〜30分の間に50〜60回は小さい声で訴えていたという。



15:40   痛み止めの座薬をやっともらえた。効くまで30〜40分かかると言われて絶望の涙を流していたらしい。

16:30   それまで裸でベッドに寝ていたのを浴衣に着替えさせてもらったらしい。座薬の痛み止めが効いてからはもう爆睡。

16:00〜17:00の間に、点滴の落ちた量を確かめるのを忘れたとか、お小水の量をチェックするのを忘れたとか
        何度も看護士さんが戻ってきたというが私は眠っていて知らない。
        ●先生▲先生がいらして手術の結果を母とカズボンに報告。
『左卵巣は癒着もなくきれいに取れた。
        右側は腸が腫れていて見えなかった。』
という。私はそれを後で聞いて、『見えなかったというのは見えなくて
        いいものなの? それとも病巣は認められませんでしたっていう意味の見えなかった、なの?』と2人に聞くと
        さぁ〜・・・?と首をかしげているので、次に先生がいらしたらちゃんと聞いておいてと頼んでまた眠る。
        前回の手術では、両親が摘出した腫瘍を見たといっていた・・・(私は見せてもらってない)のだけれど、
        今回はナシ。卒倒しないでちゃんと写真を撮っといてねってカズボンに頼んでおいたのに。

17:30   体温37.4℃  血圧106/74

18:00   体温37.6℃

18:30   携帯のバイブに
はっと目が覚めて意識が繋がり
        メールの返信をして、また爆睡。

19:00   ●先生とカズボンの声がした。
        
『腸は、あなたも私も腫れていますよ。かきわけてもかきわけても腸がジャマで
        右側は見えなかったんです。』
と言っていた。きっと一生懸命丁寧に、
        腸をかきわけて右側の腫瘍を探してくださったので
        手術時間が2倍以上かかったのだろう。
        そんなに手を尽くしてくださったのだから自分の
でしゃばりな腸を恨む他ない。
        母とカズボンが帰ろうとしていて声をかけてくれたのは聞こえたけど
        目が開かず返事が出来なかった。
        母はカズボンと一緒にアパートに泊まって明日の夜までそばにいてくれることに。

20:15   なんとなく人の気配がして目をこじ開けると麻酔科の先生がいらしていて
        『無事に終わりました、よかったですね♪』と笑顔を見せてくださった。
        看護士さんに『ニトロールの点滴が午前3時で切れる』というのを聞いて
        温厚そうな先生なのにちょっと声を荒げて
『異型狭心症の発作は明け方に起きるんですよ!
        3時に切れたら意味がないでしょう!』
と、翌朝8時まで追加していかれた。
      
21:00   緊急手術で来られた若い女性が、大きな音でテレビをつけっぱなしにしたまま、子供と笑ったり
        旦那さんを叱り飛ばしたりしている声がしていた。面会時間消灯時間を過ぎて注意されていた。
        痛いところはないのかなぁ、元気そうでうらやましいなぁと思いつつ また眠ってしまう。
        いつの間にか、ぐるぐる巻きになっていた足のコンプレッサーがはずされている。ラクになってうれしい・・・。


23:00 体温37.7℃ 
      この頃からは血圧と体温、脈は2時間おきの測定になった。
      腰が沈んで痛いのでタオルを巻いて腰の下に入れて
      姿勢を変えてはうとうと、また痛んでは姿勢を変えてまどろむ・・・。
  
      赤ちゃんの泣き声と、同室のおばあさん2人のうめき声がずっと意識のどこかにあった。
      咳が出始めると止まらない、お腹に響いて痛むので、咳をしたくなると
      あわててお茶を飲んで、のど飴を口に放り込む。虫歯になりそうダー!
2004年 2月4日

6:00 

喉が痛くて声が
全然出なくなっていた。 
部屋の乾燥がすごい。
咳をすると
お腹の傷が痛む。
(´Д`lll)




浴衣をめくってみた。
おへそと、両脇腹に
3つの絆創膏。


2日の21時から
飲まず食わずなので
お腹がすいたーぁ。
少しでいいから
お水が飲みたかった。
9:40

前回と同じく
今回も
手術してくださると
思っていた
I先生がみえた。

『左の卵巣は
今回の手術で
また少し
小さくなった。
癒着はしてない。
流産したからね。
右には
手を付けてない。
次に手術する時は
左は取っちゃうね。』


・・・次は
I先生が執刀して
くれるの?

7:45 ●先生がニトロールの点滴を
     止めていかれた。




9:45

加湿器を
借りました。

これが
30分毎に
止まるんだ!

水が霧にならずに逆流して青いふたを押し上げ
どぼどぼこぼれたりするし 
(++*)

10:30 お小水の管が抜かれて
看護士さんに付き添ってもらいながら
おトイレまで歩いた。吐き気と腹痛・・・
おばあさんみたいに腰が曲がって前かがみ。。。
12:30  待望のお昼ごはん!  
でも・・・ 
おかゆ & おうどん! + 牛肉炒め + グレープフルーツ。

これからの食事で和食・洋食の希望を聞いてくれるというのだけど・・・
・・・・・  2月4日夕食  ・・・・・

【和食】全粥・みぞれ汁・魚の
香り焼き・卯の花・飲むヨーグルト
【洋食】全粥・みぞれ汁・魚の
辛味ソース・卯の花・飲むヨーグルト





グレープフルーツの果汁は心臓のお薬の効果を強めてしまうので
『これはグレープフルーツですか?』と聞くと
ピーチゼリーに変えてくださった。 牛肉の炒め物は乾燥していて食べられず、おうどんを残しておかゆを全部食べた。
食後、点滴がはずれたのでベッドを降りて歩いてガスを出すようにいわれる。(*^_^*)




窓の外は海・・・だったらいいんだけど3階なので・・・6階まで上がれば見えるらしい。

この部屋から見えるのは 室外機。






食後、運動しようかなと思ったところに13:00に母と・・・もう明日には退院なのに父が突然、電車を乗り継いで来てくれた。
そして14:30に・・・なんとカズボンのご両親までもが隣町から来られて恐縮ッ。
ほぼ3年ぶりに顔を合わせ、私がその場を離れるわけにいかず・・・そのままの姿勢でずっと座っていたら
看護士さんに4人の前で
『おならは出たの? 動かないからよ! 動きなさい!』と言われて恥ずかしかった。
4人が来る前は同じ看護士さんはガスって言ってくれていたのになぁ。
看護士さんとのやり取りをメモしていたらお義母さんに『何を書いているの?』と聞かれた。
母が『なんだかねーぇ、みんな書き留めているんですよ。医療ミスとか怖いですしねぇ』と。
いや、証拠を残しているんじゃない。
『HPにのせるの。日記だよ。いずれまた自分で同じ手術を受けるから備忘録みたいなもの。心臓の検査入院のことは
HPにのせたおかげで同じ病気の人たちとたくさん知り合えたし、励ましあったり情報交換したり・・・』
と言ってみたものの
まったく興味がなさそうなのであきらめた。

16:00    カズボンのご両親が帰られて、うちの両親も洗濯物を取り込みにいくと言ってアパートに戻ったので
         腰をなるべく伸ばしながら、一歩一歩ゆっくりと廊下を往復してみた。
         ベッドのうえで雌豹のポーズをしてみたり(~_~;) でも効果なし。



室外機をながめていても つまらないので
廊下の端の窓へ近寄ってみた。 大山が遠くに見えた。
海老名の病院では、毎日 大山を間近に見ていたっけ・・・。
大山に手を振ってみた。





17:00    突然みぞおちが痛み出す。 お腹の中に今度はエイリアンがいて、お腹を食い破って
         出てこようと大暴れしている感じ・・・汗だく。お腹の中の空気が動いているのかな。

17:30    両親が戻ってきてくれた。 痛みが急激におそってきて悶絶し始め、息も出来ないほど。横になる。
         夕食を食べるのを見届けてから埼玉へ帰るというので、なんとか少しでも食べねばと思う。

17:45    37.4℃ 寒気がするので通りがかった看護士さんに毛布をくださいと頼んだ。忙しそうなので
         聞きたかったことをひとつにして聞いてみた。
『熱が少しあるのですが、手術後には熱が出るものですか?
         熱が出るのが普通だったらどれくらいで下がるものなんでしょう?』

         『ふーん。その熱にもよりますけど何度です?』『37.4℃です。』
         『そのくらい他にも出る人いますよ。』と忙しそうに行ってしまった。
         熱が出るのが普通なら何日くらい続くのか、それも放っておいてもいい心配ない熱なのか聞きたかったな。

18:30 

しばらく横になっていると少しおさまったので夕飯をおかゆふた匙と、卯の花だけがんばって食べた。 
これは。。。どのあたりが洋食なのだろーぅ。

ちなみにお魚(鯖)の味付けは醤油+ごま油+ねぎがのっている。 
添えられている茄子は茹でてごま油をまぶしてある・・・無味。
母がそれぞれ味見して 
むっ・・・むっ・・・むっ・・・と顔をしかめていた。 

19:00  体温計を渡されて計った。37.4℃。 でもいつまでたっても取りに来ない。 母が体温計はどうするのか聞きに言ったら
       
『後で取りに行きますから置いといてください。』というので置いておいたら電子体温計の表示は消えた。
痛みに顔をしかめて無口になっている私を心配して、母が看護士さんを呼ぼうかと言ってくれたけれど、
忙しそうだから体温計を取りに来てくれた時に言ってみるよ、と答えて待つ。
あまり遅くなると、両親が電車で埼玉まで帰るのに悪いなと思うのだけど、このままでは帰れないと、両親も腕を組んで待つ。
19:20
こらえきれず、
初めてナースコールを押した。
『お腹が痛いんです』というと
はぁい。・・・

でも、待っても来ない。(-_-;)・・・ 待っても来ない。(~_~;)・・・ 待っても来ないぃぃぃ。(T_T)・・・・・
母が1部屋おいた隣りのナースステーションを見てきて 『誰もいないわ・・・』と困惑顔。
産婦人科には患者さんが10人もいない、からなのか、看護士さんはひとりしかいないようだ。
『だいじょーぶ・・・ちょっと見てくる・・・』とベッドをおりて、手すりにつかまりほとんど90度に折れながらナースステーションへ。
誰やら女性がひとり座っていたので声をかけると、『あら、担当の人に言ったんだけど?』と言われて仕方なくベッドへ戻った。

19:37    ようやく看護士さんが来てくれたので痛み止めをくださいとお願い。傷による痛みなら出すけどそうじゃないなら
         出さないといわれてがっかり。お腹に空気が入っているから痛いのかと聞くと、多分そうとの答え。がんばるしかない!
         先生に伝えていただけるというので、両親が
途中で帰るのは心配だというのをもう大丈夫だから、と帰ってもらった。

19:50    主治医師団(^^;に名前を連ねる4人目の先生、★先生がみえた。みぞおちを押されると激痛。押す時も離す時も
         
ふんぐっ!と声が出てしまう。手術の傷の痛みは我慢できている。
         
『手術を見てないから分からないんですが、胃を傷つけたのならもっと熱が出るはずだし。肩は痛みますか?痛まない?
         背中がわの肋骨が痛い?わからないなぁ。炎症をおこしているのかな。微熱は4、5日出る人もいますね。』
途中19:55に麻酔科の先生がまた来てくださって★先生のお話が中断。麻酔科の先生は★先生に恐縮されながらも
         ニッコリして『発作が出なくて本当によかったですね!』と頭を深々と下げて病室を出て行かれた。
         ★先生のお話再開。
『腹腔鏡手術をすると空気が入るからそれで痛いというのはありますね。 あれ? 手術後に
         痛み止めは何も出されてないんですか? 抗生物質と痛み止めを3日分出しますから看護士にもらってください。』

      
23:20    やったー!
(ノ^∇^)ノ お腹が痛み出してからどれだけ時間がたったんだろう、
         カロナール2錠とオラセフ1錠を3日分もらえた。
         看護士さんにしつこいくらい『ありがとうございますぅ』を繰り返してお茶で飲み込んだ。

1:00     まだ痛みは治まらない。横になっていると痛みが強いので部屋を出たものの行くあてもなく、トイレに座り込む。激痛。
         ぼーっと床を見ていたら他に2つある個室に続けてどなたか入り、うめき声が苦しげに聞こえてきた。3人それぞれが
         痛みや吐き気と闘っている。・・・と、また別の方が来られて
『あら・・・いっぱいなの・・・』とつぶやかれた。
         立ち上がりたいけどお腹が痛くて身動きがとれずそのままでいると、別の方が出て交替された。またうめき声。
         廊下には赤ちゃんの夜泣きが響く。
         なんとか痛みが治まって出ると、また別の方が待っていた。午前1時に、8人しか患者がいない産婦人科のトイレが
         大混雑しているなんて、普段健康な体では想像もしないことだな・・・と思った。

痛み止めが効かないので眠るのをあきらめ、ベッドに座って体を静かに動かす。体操。
同室のおばあさんふたりが何度かナースコールを押していた。
婦人科の病気にもいろいろあるらしい・・・。


加湿器がすぐに止まる・・・
安易にふたを取ると
ピーッ!!っとけたたましい音がするので暗闇の中で手探りで電源を切り、
水を注ぎ足して電源を入れ、蒸気が玉になり始めるとスタートスイッチをONにして
吹きこぼれた机や床をふいたり、まるで一晩中寝ずに加湿器の看病をしているようだった。
2004年 2月5日

   4:30 お腹がすいて胃がきりきり痛い。 歩いて時間をつぶすことにした。
   

珍しくなにか甘いものを口にしたくなったものの3階にはジュースの販売機もなく、
そうだ、下に行ってみよう・・・と思い立って階段をそーっとそーっとおりた。 もうすぐ6時だなぁ・・・とロビーの時計を見ながら
ふと見渡すと、もう、ひとりのおばあさんが椅子に腰掛けて受付開始を待っていた。 すごいね。
     6:05

あたたかいココアを一気飲み。

それでも足りずに

コーンスープも一気飲み。

やっと一息ついた。

7:05
おなかがふくらんでる・・・
ゆうべの看護士さんが 『痛みは?』と聞いてくださったので
『全然おさまりません。』というと、
『この薬は 
5痛いのが になればいいかなというものだから。退院できなさそうだったら
先生にそう言って、まだ居ていいですよ。』 と。

いや・・・帰ります・・・這ってでも・・・と思った。

▲先生がみえて20日に検査結果を聞きに来るようにおっしゃった。左側の卵巣から摘出した腫瘍が
悪性でないか、という検査結果ですね。 糸は溶けちゃうから抜糸しなくてよいのですって。 

シャワーは毎日浴びること。 お風呂には1ヶ月入れません・・・ってマジ!!??
この寒い時期にシャワーだけだなんて、心臓は大丈夫だろうか・・・ 
8:30

レンジでチン♪ の ぶよぶよパン。
長期入院されている方がこの食事ではかわいそうだ・・・。

お義母さんが昔ここに入院されていた頃は
小懐石のような食事で見舞い客に羨ましがられたと
いうんだけど・・・変わったのかなぁ。
会計。





(´o`;)ゞ 
とほほ・・・。


最後にみえた執刀医●先生にお礼を言い、海老名の心臓の先生にお渡ししたいのでお手紙がほしいとお願いした。
『なんにもないからなんにも書くことないよ〜、じゃぁ、お金払わないなら書いてあげる。』と
お忙しいのにさらさらっと書いてくださった。 
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがとうございまーすぅ♪( ^-^)/★,。・:・゚






今日このページを作っているのは2月6日、手術後3日目です。熱は下がりました。
傷の痛みは、うっかりさわったりしなければ大丈夫ですが咳をするとかなり響きます。 
あれですね、病室の乾燥でここまで喉を痛めなかったらもっとマシだったはず。
痛み止めはもう飲み切ってしまいました。抗生物質が今夜までの2回分あります。
前回は退院のときに痛み止めと消毒薬が出た気がするんだけど今回はなしです。
前回の手術から5年半・・・次にまた出来て大きくなってしまった時には・・・

ま、その時に考えます。
季節は、この寒い時期を選んだのは
最悪だったな!


月曜日9日から仕事に戻ります★







手術後の経過。

10日後 痛み 咳をしても痛くなくなった
自転車に乗ると痛い
おなかを押すと 左側は手のひらで押すと痛い。右は平気。
傷跡 おへそはテープでよく見えない。
右は、小さくチチっと横に切れていて
テープは取れてしまった。
左側が・・・不自然に膨らんでいる。
さわるとカタイ。石みたい。




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