この年齢・女性では あんまりいないらしい、

冠攣縮性狭心症
(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)=異型狭心症が判明するまでの道のり。







冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)
=異型狭心症の症状
私が感じた【 歯と胸の痛み 】の他に 
左肩、お腹、左腕、喉が痛む方もいるそうです。放散痛だということです。


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☆☆

私が、初めて心臓でひっかかったのは10歳頃、小学校での健康診断の時です。
その夜は
『もう私は死んじゃうんだ!』と涙がぼろぼろと止まりませんでした・・・。
2段ベッドに横になり、部屋のあかりはオレンジに灯したまま、青地に白い星がいくつも描かれたカーテンを
ずっと眺めて朝まで過ごしたのを覚えています。
枕に押し当てられている耳から頭にドクドクと自分の心音が響き、
『あと何回で止まっちゃうんだろう。』と本当に怖い夜でした。
後日、私の他にもひっかかった何人かの子と貸切のバスに乗り、精密検査を受けに大きな病院へ行きました。
そこで【心雑音・狭心症の気あり】と診断されたものの【日常生活に問題なし】と言わたので、心からほっとして
それからは心臓のことなんて考えないようにして生きてきました。
それが、高校生の時に胸の痛みを頻繁に感じるようになって日赤で精密検査を受けたのですが、
やはり特に悪いところは無いと言われ、
『本当に苦しいのに。。。痛いのに。。。』と、分かってもらえない苦しさを
もどかしく感じていました。
そして31歳。
今度はどうしようもない、明らかにそれまでとは違う強い胸痛をおぼえ、インターネットで検索して得た知識で、
冠攣縮性狭心症(異型狭心症)という病気なのではないかと疑い始めました。でも、病院へ行っても発作が
起きていない時にいくら検査を受けても何も分からないものらしいのです。それで病院を変えて遠く海老名まで通い始めました。
なかなか診断が確定しなかったけれど放り出したりあきらめたりしませんでした、先生も根気強く付き合ってくださいました。


インターネットって便利です。
何も知識がない分野でも詳しく知ることが出来ます。その反面、余計な先入観を持ってしまうこともあって危険です。
だけど私は!!インターネットのおかげで見つけた九州のお医者さんのHPで自分の症状とピッタリ合致する病気があること
放っておくと命にかかわるということを知ることが出来、そして自宅から通える循環器専門の病院のHPを見つけて
メールを出してみて、そこで信頼のおける先生方と出会うことが出来たのです。
このHPが、私と同じ症状を感じている方が病院へ行って検査を受けてみるキッカケになったら嬉しいです。。。




2002年5月、両親とカズボンとの四国旅行から帰った翌朝、生まれて初めての痛みと苦しみに目が覚めました。
まず、歯が痛かったのです。
全部の歯がギュウギュウ押されるような感じでした。
でも毎週のように馴染みの歯医者さんにかかっていたので虫歯がないことは分かっていたのです。
夢の中で私は、スプーンを使って歯をキンキンカンカン叩いていました。 それから現実に目が覚め、夢の続きのように
歯を指ではじき叩きながら 
『虫歯はないハズなのになぁ。。』 と、寝ぼけた頭で考えていました。
そして、
それほど間をおかずに胸が苦しくなり始め、それも普段よく心臓に感じるようなちくちくした痛みではなく
冷たい氷を胸に押し付けられて、その上から誰かが押さえつけているような息が止まるような苦しみと痛みでした。
それが20分程度。その痛みが、2週間ほど後にもう一度あったのです。

正直、私はおかしなことを考えました。四国に一緒に行った父もそれから体調を崩したので、私は
四国で何かよくないものに取り憑かれたのかな・・・と ちょっとだけですけど思ったんです。
荒唐無稽な話といえばそれまでですが、歴史に関して特に無知な私がある銅像を見て不適切な発言をしてしまい
それをカズボンにたしなめられたことがあり、旅行中、ちょっとビクビクしていたところがあったのです。
もちろん、父の病気(肺癌が判明し手術して良好な経過をたどっています)も、私のこの件も全然銅像の方とは
関係なかったわけで、重ねがさね失礼をはたらいてしまったわけでして(実は、お名前も分かりませんが)
大変申し訳なく思っている次第です。ごめんなさい。

話はそれましたが、その5月の発作以来、何事もなく 父の看病 〜 めでたく退院、そして楽しい夏を送りました。
ビール、山、緑、海、入道雲、普通に楽しい夏でした。

あっという間に時が過ぎ、9月13日のことです。仕事が午後2時頃には終わってしまい、することもないのでパソコンで
遊んでいました。何をするというわけでもなく。
すると、
急に歯が痛くなってきたのです。ギシギシ・・・それからギュウギュウ・・・
『 あっ、これは!!??  5月に感じたあの痛みだ!! 』

先輩ひとりと後輩ひとりがまだ仕事をしている中、( いつもは手伝います〜、すみません )パソコンで遊んでいた私は
気がひけたのですが、先輩に歯と胸が痛むと話してみました。でも、そりゃぁなんだかわからないよねぇーって自分でも
思いますが先輩の反応もそれほど特別なものではありませんでした。しばらく壁に寄りかかっていると痛みがおさまり
先輩に
『 ワケがわからないから、ネットで調べてみてもいいですか? 』と相談してみたところ、快く、そうした方がいいと
言ってくださったので あるわけないよね。 と思いつつも 【 歯 下顎 痛 胸 心臓 】などのキーワードを打ち込んで
みました。そして出てきたのが、
冠攣縮性狭心症(異型狭心症)だったのです。
え!? 何? 歯が痛くて心臓の病気なの? ピンときませんでした。
でも『放っておくと死ぬ』という文章がものすごく怖かったので、そのまま早退して茅ヶ崎に帰りました。自宅に一番近い
T病院に駆け込んで事情を話し、心電図とレントゲンを撮り、採血をしてもらいました。
その場では診断は出ないのですが、応対してくださった内科の先生は『 冠攣縮性狭心症(異型狭心症)というものが
考えられます。』と言ってくださったので、ネットで見た通りなんだ!と安心したような不安が的中したような変な気持ちでした。
後日、T病院の循環器科へ結果を聞きに行きました。K田先生というのびたくん似の若い先生です。
T病院は循環器科と小児科が一緒のフロアなので小さな子供が走りまわり、赤ちゃんが泣き、若いママがたくさんいて
よく言えば随分賑やかでした。 生のエネルギー!という感じ。
そんな待合室で、髪の長いはかなげな40歳位の女性がぽつんと座っていたのがK田先生に呼ばれ、長いこと診察室から
出てこなかったので、ここはジックリ診てくださるのかな、私も納得がいく説明をしていただけるのだろう。。。と思っていたのに
3分どころか1分半診療でした。 心電図・レントゲンの結果を見せられ『 異状ありません。この若さで女性ということから
考えても、狭心症は考えられません。 』・・・・それだけでした。確かに狭心症というのは高齢の男性に多いといわれますが。
では、なぜ歯と胸が痛むのかと質問しても『 さぁ?分かりません 』 ・・・それだけでした。
待合室に戻され会計伝票を待つ間、K田先生は診察室を出てきて先ほどのはかなげな彼女のもとへ駆け寄り、大事そうに
いたわって、また診察室に連れ戻していました。
なんなんだー!!!不信感でいっぱいになりました。だからたった一度しか会っていない先生の名前を覚えているんです。(^^;

もちろん、K田先生の診断では納得がいきませんでした。不安は不安なままでした。
それからパソコンでの病院探しを始めたのです。 まず、神奈川県であること。心臓の専門であること。方向音痴の私でも
行けそうなこと。。。検索の結果は、海老名にあるH病院でした。HPにはメールアドレスがあったので、まずそこへ
メールを送ってみることにしたのです。
朝、歯の痛みと胸の痛み、苦しさで目が覚める。T病院では何もないと言われたが不安が残る。
インターネットで調べたら冠攣縮性狭心症(異型狭心症)というのが当てはまるようだがどうしたらいいだろう。

こんな内容でした。すぐにその翌日には心臓血管外科のK先生から 『 冠攣縮性狭心症(異型狭心症)だと思われるので外来に
いらしてみては?』とお返事をいただきました。そのメールを印刷してすぐに海老名へ向かったのは言うまでもありません。
K先生にお会いして一通りお話をし、K先生から循環器内科のM先生を紹介していただきました。M先生は37歳、背がとても高く
親切で優しい先生です。『 Iさん(←私のこと) お脈をとらせてくださいね。お胸は痛みますか?』と紳士的。
M先生のもと、いろんな検査を9月から1月に渡って受けました。
( その約5ヶ月間、1度も発作は起きませんでした。 ) 
検査は、ホルター心電図という24時間胸に吸盤をくっつけ・カセットテープを携帯して記録する心電図、
15分程度 ジムにあるようなランニングマシーンを走りながら心電図を記録するトレッドミル、心臓のエコー等。
でも実のところは、発作がおきている時に計測しなければなんのデータも取れないものみたいです。私がいくら痛みや苦しさを
訴えてもそれは伝わらない。先生には分からない。やっぱり年齢と性別からして狭心症はありえないのか・・・わからないまま。
でもM先生は投げ出しませんでした。ニトログリセリンのスプレーを処方され、『 何事もないとは思いますが、もし発作が
おきた時にはこれを使ってみてください。舌の裏に1噴霧。効かなければ3分後にもう1噴霧。 異型狭心症にはニトロが
よく効くお薬だということが分かっていますのでお守り代わりにお持ちになっていてください。 もしお望みでしたら足の付け根から
カテーテルという細い管を入れさせていただいて心臓までそれを通して、発作を誘発させるお薬を希釈して投与してみて冠動脈の
評価をさせていただくという検査も出来ますが Iさんの場合は発作の頻度が多くないということと、まだお若いということから
カテーテル検査は受けなくても良いように思いますがいかがですか? どうされますか? 』と、説明して下さいました。
カテーテル検査そのものは30分程度で終わり、痛みはなく、術後の止血を含めても1時間くらいで終わるそう。でもその後
3時間は絶対安静。それから3時間はベッド上での安静で6時間は身動きが取れないという。
darlingと相談して、先生がまだいいというなら受けたくないよね、こわいもんね、、、という感じでカテーテル検査は断り、
ニトロをもらったものの枕元に置きっぱなしにして その存在も忘れてしまっているような毎日でした。
何しろ、H病院にお世話になり始めて以来5ヵ月半、検査に異状はひとつも出ないし、一度も発作が起きていなかった
のですから■先生が 『 何事もないだろう。 』という診断をしたのも無理はありません。

それが。

2003年2月5日の午前6時40分。
忘れかけていたあの痛みが襲ってきたのです。
歯が痛い・・あれ?これ、アレ?あの、アレ??大混乱の中、名古屋に出張しているカズボンにメールを送りました。まだ眠って
いると思ったので反応はないだろうと思いながらも。
就寝時は当然メガネもコンタクトもしていないのでニトロのスプレーを探すのに手間取り、取扱説明書を目を細めて読んで
ビニール包装を破りとって空噴霧してから舌の裏に1度ボタンを押しました。上手に押しきれなかったような印象があり、
そのまま痛みに耐えていたらカズボンから返事が来ました。そばについていてくれたら。。。いくら文字で励ましてくれても
そばにいてくれないのがつらい。。。苦しい中、勝手ながらそう思ってしまいました。1度の噴霧で効かなかったら3分後に
もう一度・・・と書いてあったのでそのようにしました。でも・・・それも効果がなく苦しみ痛みは続き、うめいている間に30分が
経過していて午前7時10分に発作がおさまりました。それは、自然に発作がおさまっただけでニトロの効果ではありませんでした。
(でも、今思い起こせばきっと噴霧量が足りなかったんだと思う、初めて使用する前に空噴霧を7〜8回しなければならないという
説明を見落としていて、1ヶ月以上の間をあけて使用する場合は1回空噴霧するという文章だけ見て、1度しか空噴霧しなかった
から。混乱していたのと、小さな文字が読めなかったとはいえ、すべて自分のせい〜)

その後はグッタリとして汗をかき、布団から出られず仕事を休みました。
午後になってから起き出して、H病院にメールを出しました。電話でもよかったのですが私はどうやらネットの方が
緊張せずに言葉に不足なく伝えられるようなのでメールにしました。
翌日、K先生から『 ■先生の外来にいらしては? 』とお返事を頂き、日を同じくして■先生から私の自宅の留守番電話に
『 金曜日のわたくしの外来においでください。詳しくお話を聞かせていただければと思います。 これをきっかけとしてカテーテル
検査をご検討されてみてはいかがでしょうか? 』とメッセージが残されていて すがる思いで病院へ走りました。
そこで、先生が『 いかがですか、これをきっかけとしてカテーテル検査を受けられては?異型狭心症であるかそうでないか、
すぐにその検査で判明します。 』と検査について【 やりますか? 】という方向で質問をしてくださったので
即座に私は
『お願いしたいです!』と答えました。 先生は、体の中に管を入れるという検査で絶対の命の保証はないということで
家族とよく相談するようにとおっしゃいましたが 私はもう検査を受けなくちゃ気がすまない!という気持ちでした。
でもちょっと謎が。冠攣縮性狭心症(異型狭心症)なのに冠攣縮性狭心症(異型狭心症)かどうかの検査なんて。
治療をして〜、治療を〜。そう思っている部分がありました。

後日、家族に対する検査の説明、ということでカズボンが呼ばれました。もちろん私は■先生にもカズボンにも検査を受けたいということを
言ってありました。
そこで■先生はカズボンに 『わたくしは異型狭心症の可能性は殆ど無いと思っていますが、今回、奥様が検査を受けたいという事を
決断されましたから、安心を得る為に検査をしましょう。 』 と、おっしゃいました・・・私は目が点です。(・_・;)
え?なんで?冠攣縮性狭心症(異型狭心症)だからそれを確定するための検査・・・なんじゃないの?
そうじゃないと思っていますなんて聞いてないよ・・・
診察室を出てからカズボンに 
『 なんで?なんで?そんなの聞いてないよ。 そうじゃないならなんなの? 私の苦しみ痛みは
なんでもないっていうこと? 本当に苦しいのに冠攣縮性狭心症(異型狭心症)じゃないなら何? 気のせい?
本当に痛いのに。そうじゃないなら何だっていうの? 』 
感情のままに同じことを繰り返して質問する私にカズボンは、
『 検査してもらおうよ。そうじゃなかったらそうじゃないで良いことなんだし。 検査を受ければすぐに分かることなんだから
それから考えようよ。』と諭してくれました。 その後もそれでも私は何度か同じ混乱の渦に沈み込み、なぜ?なぜ?と眠れない夜を
過ごしました。カズボンの名古屋出張が続いていて その間に発作がおきたらという不安もどんどん膨らみ、毎晩2時間程しか眠れず
それもじっとりと汗をかき、怖い夢を見る夜が続きました。薬屋さんで安定剤を買って飲んだものの効かず、とにかく早く検査を受けて
ハッキリしたい!・・・ただそれだけ過ごした2週間でした。

そして、3月6日(木)から4日間の入院生活を送ることになりました。
あられが降る、冷たい朝でした。











入院生活が始まります・・・。



いつでもネットで医師に相談できる!





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